2023/3/24
公演レポ
不意打ちのような暗転の後、再び劇場に灯りが入ると、灰色の家具が無造作に置かれた舞台の上に、一人の若者――いや「若者らしき物体」が横たわっている。彼を取り巻く黒服の男女たちは、彼の四肢や頭を持ち上げ、まるで文楽人形を操るように歩かせ、手を伸ばし、そして転ばせる・・・を繰り返す。最初は完全にされるがままだった人間人形は、次第にぎこちなく身体を動かしはじめ、やがて椅子に座ることに成功し、一つの言葉を盛んに唱え始めた。非常に舌足らずのために、最初はただの音としか思えなかったその声は、次第に「言葉」として認識できるようになる。
「僕は そういう 前に だれか だったことが あるような 人に なりたい」。
三谷幸喜脚本の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、源実朝を暗殺する悲しき刺客・公暁を、スケールの大きな演技で体現し、その才能を一躍世間に知らしめた寛一郎。それまで舞台に関心がなかったという彼が、戯曲に惚れ込み「これは演劇以外では表現できない」と考えて、初舞台の出演を決めたのが『カスパー』だ。
ヴィム・ヴェンダース監督『ベルリン・天使の詩』の脚本で知られるペーター・ヘントケが、1968年に発表。16歳まで監禁されて育ち、言葉をほとんど知らない状態から教育を受け、21歳で暗殺された実在の人物、カスパー・ハウザーがモデルとなっている。しかしこの舞台は、カスパーの短い悲劇的な生涯を追うドラマではない。赤ん坊のように無垢な状態で、突然世間に放り込まれた男が、言葉を急激に刷り込まれていくことで、何を得て、何を失っていくのかを、モノローグのような言葉の洪水で見せていく怪作なのだ。
カスパーは、歩くことを試みる赤ん坊のように、不器用に身体を動かしながら、たった一つの言葉を繰り返す。やがて舞台横に並んでいたプロンプターたちが、カスパーの行動の解説やアドバイスのような言葉を、矢継ぎ早に投げかけはじめる。彼が今、おそらくは初めて見る机やソファやロッキングチェアに対して、どのような感情を抱いているか。カスパーが繰り返す言葉は、彼の心に何をもたらしているのか。そして彼はここから何をするべきなのか。
プロンプターたちから刺激を受けたからか、カスパーは少しずつ別の言葉を語り始め、自分が身につけている衣服や、周りのインテリアがどのような役割を持っているのかを、少しずつ認識。それにつれて身体の動きも徐々に安定し、仮面のようにうつろだった表情も、しっかりとしたものに変化する。まるで0才から6才ぐらいまでの少年の成長を、早送りで見ているような感覚だ。
首藤康之、下総源太朗、萩原亮介の3人のプロンプターが投げかける言葉は、どちらかというと観念的・哲学的なニュアンスのものが多く、瞬時に理解することはなかなか難しい。しかし私たちが成長する過程で、様々な世間の常識や規範(と、思われているもの)を植え付けられていく時に、類似したような言葉を両親や、教師や、先輩や、上司や、あるいはメディアから教え込まれたという記憶が、ふつふつと湧いてくるような気分となる。
そして劇中で発せられる「言葉! 言葉! 言葉!」というセリフが象徴する通り、とにかくいろんな種類の大量の言葉が、十字砲火のように容赦なくカスパーに浴びせられていく。さすが「言葉の拷問劇」の異名を持つ戯曲だが、意外と……というか、そういう戯曲だからこそ、視覚・聴覚的な刺激も存分に盛り込まれている。
5人のダンサーたちはカスパーの影や、あるいは分身のように舞台に存在し、ともすると単調になりかねない舞台に動きを与えたり、カスパーの心理を増幅して見せたり、あるいは「世間」そのもののように思えたりもする。またプロンプターたちのセリフも、そのときどきでリズムや抑揚に変化を入れて、奇妙な音楽を聞いているかのような心地にさせられる。さすがロイヤル・バレエ出身で、身体の効果的な使い方や、身体と音の関係に大変敏感な、ウィル・タケットの演出だ。
そして何よりも、この舞台の屋台骨となっているのは、舞台初出演とは思えないほどの貫禄で、この世界に存在する寛一郎であることは間違いない。物質のようなたたずまいから、少しずつ人間らしさを獲得し、自分や世間について豊かな語彙で語れるようになることと引き換えに、高慢や軽蔑や狡猾などのネガティブな感情も背負っていく……というカスパーの変化を、グラデーションのように繊細に表現していく。
自分自身のこと、そして自分から見た世界の印象を語るカスパーのセリフは、プロンプターに負けないほど難解なので、下手すると言葉が上滑りして、退屈な演技になりかねない。しかし寛一郎の演技は、ちゃんと血肉が通っているというか、これは自分の中から湧き上がる言葉であり、これは自分の物語であるということが、しっかりと伝わってくる。これがまだデビューして5年程度の俳優の演技だとは、素晴らしいというのを通り越して恐ろしいほどだ。
やがてマイクを持ち、アジテーションするかのように自らの考えを投げつけていくカスパー。その中で、彼が冒頭で繰り返していた「僕はそういう前に他のだれかだったことがあるような人になりたい」という言葉の謎もおぼろげに解き明かされ、人間になった……いや、人間に「させられた」怒りのような感情に圧倒される。しかしカスパーのセリフは、また少しずつ不明瞭なものになっていき、やがて「?」で頭がいっぱいになるような言葉を繰り返し……。
簡単か難しいかで言うと、正直難しい方の部類に入る舞台だ。しかしそこで語られることは、決して私たちとはかけ離れたものではない。むしろ誰もが社会の中で成長し、今こうして生きている中で、多少なりとも心のうちに潜んでいるはずの「なんでこんなルールを守らなければいけないんだろう?」という不満や「自分らしさを奪われてはいないか?」という疑問を、カスパーを通じて直視することになるだろう。
そして何よりも、人外のような存在でありながらも、人間の根源的な迷いと悲しみを表現しきった寛一郎の演技を、ぜひ今のうちに目撃してほしい。彼の記念すべき初舞台だからというのもあるが、寛一郎は「舞台はこれが最初で最後。再演も考えていない」と言い切っているからだ。ただこれだけの逸材、演劇界の方が手放そうとしないのではないか、とは思うのだが……未来がどうなるかはわからないけど、まずは一度きりの大阪公演の機会を、どうか逃さずにいてほしい。
文:吉永美和子
撮影:阿部章仁
『カスパー』
■出演
寛一郎
首藤康之
下総源太朗
王下貴司
萩原亮介
大駱駝艦/高桑晶子 小田直哉 坂詰健太 荒井啓汰
■作
ペーター・ハントケ
■翻訳
池田信雄
■演出
ウィル・タケット