2024/4/22
インタビュー
――13時開演の昼の部が『阿武松』、17時開演の『黄金餅』です。この二席はどういう経緯でネタおろしされたのでしょうか?
「『阿武松』は10年以上前になるかな、先輩の噺家の橘家圓太郎師匠に教わりました。何の噺だったか僕の持ちネタを「教えてよ」と頼まれたことがあったんです。その時に「せっかくだから、兄さんの噺を一つ教えてください」と言って、交換してもらいました。お相撲さんが出てくる落語はいくつかありますが、僕は全然、持ちネタになくて。それは僕の見た目がまず相撲取りに見えない。どうやってもこいつは無理だろうと。この時も、教えてもらってもそのままにしていたんです。
でも「あれ、やってねないよな」と頭の隅には残っていて。『阿武松』は子供の頃から聞いていた落語だし、お稽古までしてもらったのに、そのままじゃもったいないと思って、やってみようと。今年の2月頭にやることにして、1月から支度に取り掛かろうかなと思っていた矢先に石川県の能登地方で地震があって。本当に偶然ですが、主人公の「阿武松」という相撲取りの生まれ故郷は能登で、能登の人が主人公の噺はこれしかないですから、今、このタイミングでやることになったのもある意味、縁だと思いました。なので、「阿武松よ、頑張れ!」という思いが、自分の中でより大きくなりましたね。」
――『黄金餅』はいかがですか?
「『黄金餅』は古今亭志ん生という昭和の名人の専売特許というか十八番。その後は立川談志師匠が得意な噺としてやっていらして、それぞれのイメージが強い噺です。ですから、ある意味、下手に手をつけると痛い目を見るというかね。お客さんにもそれだけのイメージがあるのでやってこなかったのですが、コロナ禍で2~3年、思うように落語ができない期間を過ごして、また落語会ができるようになってくると、「今までやらなかったけど、また落語ができなくなっちゃう時が来るかもしれない」と思って、『黄金餅』はすごく好きだった噺だし、やらないのはもったいないよなと思うようになったんですよね。挑むにはハードルが高いなかで、1年間、ネタおろしをやるうえで最初の噺としてどうかなと思って選びました。」
――実際にやってみていかがでしたか?
「思ったよりもまあまあお客さんも期待してくれているところがあったんだなというのは感じました。充分とは言わないまでも、お客さんの期待に答えることができたのではないかと思います。」
――『黄金餅』はどなたに教えてもらったのでしょうか?
「談志師匠から直接教わった当代の桂三木助さんです。彼に「教えてくれない?」と。「談志師匠に教わったままで」って。彼は談志師匠に晩年、かわいがってもらったらしくて。」
――三木助さんからは「談志師匠はこうおっしゃっていた」というお話はあったんですか。
「小難しい理屈を考えない方がいいというようなことは言われました。僕は元々、そういうことをあまり考えないタイプなので、ああ、よかったなと(笑)。ただ、談志師匠の『黄金餅』を聞いていると、考えすぎないようにと言いながらも、人の心の奥深くに棲むものを感じさせて、やっぱり凄みがありました。それは自分にはなかなか無理なのですが、でもまた違ったテイストで、聞いている人が胃もたれしない感じになればと思いますし、うまくすれば自分の持ちネタのラインナップに乗るかもしれないなとは思いましたね。」
――夜の部では、いつにない試みもありますね。
「普段はやらないのですが、Q&Aみたいなことをしようと。全部ではないですが、お客様からいただいた質問をいくつか舞台の上でお答えしようかなと。たまにそういうのもいいんじゃないかって。おまけですけどね、楽しみにしてもらえたらと思います。」
――2024年は噺家生活も31年目。どんな1年にしたいとお考えですか?
「ここ何年かはコロナ禍で落語会がうんと少なくなったのもあって、非常にだらけた生活を送っていました。その間、落語をしゃべりたいという思いも湧いたんだけど、やる場所もなくて。僕は、やる場所がないなりに日々トレーニングや努力を怠らないというタイプではなくて、何もなくなりゃ何もしない。今年は毎月、ネタおろしに追われると思うのですが、久しぶりに自分のケツを引っ叩いて、ハラハラドキドキしながら過ごしていく1年になるかなという感じはしております。」
TEXT:岩本和子