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FM COCOLO「Whole Earth RADIO」ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-完全版

2023/4/5

その他

Bob Dylan “ROUGH AND ROWDY WAYS” WORLD WIDE TOUR 2021-2024

3/19(日) ON AIR
FM COCOLO「Whole Earth RADIO」
ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-
未公開音源を書き起こした完全版!

ノーベル文学賞受賞後初のジャパンツアーが4月に決定したボブ・ディラン。
彼がいかに革新的で特別な存在なのか、そしてこの来日公演が必見な理由とは…!

日本でディランを語らせたら右に出るものはいないと言われる菅野ヘッケル氏をゲストに迎え、野村雅夫さんがたっぷり話を伺いました!
 

◆はじめに

野村「どうも野村雅夫です。今日のFM COCOLO「Whole Earth RADIO」は、「ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-」と題しまして、ボブ・ディランのこれまでの人生を四つのシーズンに分けて、彼がいかに革新的で特別な存在なのかを探るという1時間をお送りします。今日の「ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-」でお話を伺うのは、1970年からCBSソニーでボブ・ディランを担当され、ボブ・ディランに関する著書も多数でございます。ボブ・ディラン研究家、菅野ヘッケルさんです。よろしくお願いいたします。」

菅野「よろしくお願いします。」

野村「ボブ・ディランは、僕が1978年生まれでして、もうヘッケルさんからすると、もう、ひよっこが目の前に(笑)」

菅野「そんなことはないんですよ。」

野村「ちょうどヘッケルさんもまさに担当された、というか企画ですかね。あの武道館の。」

菅野「そう。『Live At Budokan』」

野村「ライブももちろん、レコードとしてレコーディングされて販売されて。世界でもね、よく聞かれた。」

菅野「最初は日本の発売予定だったのが。あまり好評で。」

野村「はい。」

菅野「アメリカで発売されて、全世界に。」

野村「だから武道館でライブをして、いわゆる洋楽アーティストがライブをして、それをライブ版として出すっていう、それが何か一種のステータスだ、みたいなことっていうのは、あれが一つのきっかけに。」

菅野「一つのスタート…。そうですね。当時は僕が入っていたCBSソニーって会社で、チープ・トリックとかね。」

野村「はいはい。」

菅野「やっぱり武道館で撮ったりしてたんで。だから海外から来るアーティストにとってみれば、武道館であるというのが一つのステータスで。それをお土産として、ライブレコードを残すっていう。これもアーティストにとっても嬉しいことだったと思います。ただ、ボブの場合、ディランの場合は、とてもライブアルバムを、日本のために作るなんて誰も想像しなかったですね。僕ももちろん担当者で、すごく好きだから、何か残してほしいと思って、ダメ元でライブアルバムを作りたいという希望を出して、長い交渉の末、最終的にOKなったという。」

野村「すごいことですよね。そのボブ・ディランと初めてお会いになったのはいつだったんでしょうか?」

菅野「直接会ったのはもちろん来日したとき、78年。コンサートの二日前。」

野村「二日前!?」

菅野「1月の…。あ、2月か。2月の18日に来たんですよね。羽田空港。まだ当時羽田で。そこで記者会見を。日本の場合は外タレ来ると記者会見ってのが恒例だったので、ディランもそれをOKしてくれて、記者会見あったわけ。その席で、記者会見の前の打ち合わせで初めて会いましたね。」

野村「憧れの人だったと思うんですけれども。」

菅野「もちろん。元々、僕個人的なことを言えば、ボブが好きで、レコード会社に入ろうと。ボブがいるのはソニーだと。入社したわけですから、もう本当に夢が。」

野村「そうですよね。しかもその作品を日本で販売するというだけではなくって、いわば武道館を録音して、それを世に送り出すということですから、もう初めて会ってそこからも怒涛ですよね。」

菅野「そうですね、レコード会社の洋楽担当というのは、ほとんど作ることには携われないですね。」

野村「そうですよね。」

菅野「彼らが作ったものを、どうやってマーケティングするかが一番大きな仕事だったんで。日本で何かを作るってのは、もうライブレコーディングしかない。その夢がそんなに早くね。」

野村「いきなりね。」

菅野「実現したので、その時は本当に嬉しかった。」

野村「すごいですよね。」

菅野「しかも、毎日毎日直接サウンドチェックから、ボブと会いながら10日間…、もっとか。大阪も含めて2週間以上過ごしたわけですから。もう本当に夢の日々でしたね。」

野村「ですよね。でもやはりそこで本当に集中して作品を一緒に、ある種、作られたということがその後のやっぱりボブ・ディランとヘッケルさんの繋がりっていうのは、やっぱ大きかったですかね。」

菅野「というか、特にね、やっぱり日本のファンの、熱心さ、真面目さ、真摯さ?要するにボブは最初来たときは、日本にそんなにいっぱいファンがいるってことも確信できていないし。特に初日の武道館、2月20日に会ったときも、その反応がね。例えばアメリカのコンサートは、ワーワー良きゃ騒ぐ奴もいるし、駄目ならブーイングする奴もいるわけで。ところが日本のファンはなんかじっとすごくおとなしく席に座ってる。だからコンサート終わった後、ボブが僕に言ったけど、みんなどう思ってるのかと。」

野村「大丈夫なのかと。」

菅野「満足してるのかと。そういうことを聞いたんで、僕は、日本のファンはやっぱりみんな驚いてると。その驚きで憧れのボブが何を歌うか、一言も聞き逃したくない。だから歌ってるときはあれだけみんな静かに聞くんだ、と。終わったら拍手をみんな一斉にすると。そういうのが日本のやり方だよ、という話をするとボブはわかった、と。それからすごく、毎日毎日良くなっていって。さらに東京のあと途中で大阪に来たでしょ。」

野村「はい。」

菅野「大阪はね、東京と違ってかなり今度は観客も叫ぶわけですよ。良いときは。だからそれはね、ボブはすごく、さらに気持ちが良くなって。そういうのがあった後、日本の東京へ戻ってライブレコーディング。だからすごくいい状況で。」

野村「そうですね。今流れがあって。いきなりね、武道館だったらもしかしたら違う出来だったかもしれない。」

菅野「しかも本来はその3日間、録る予定だったのが、2回録った段階でボブが、もうすごくいいものが録れたからこれでいいと、2日間だけ取った。そういう経緯です。」

野村「素晴らしいな。だから、それはもちろん、そのときの録音ってのは、今も聞くことができるわけですけれども、それ以降、ボブ・ディランにとっての日本のイメージっていうのも、それ以前と比べればやはりだいぶ変わったものがあるだろうし。今もボブ・ヴィランは世界中でプレイするわけですけれども、中でもやっぱり日本は、特にアジアの中ではもう特別なポジションですもんね。」

菅野「そうですね。さっきの武道館のアルバムのライナーにボブが日本にまた戻ってきて、僕の心臓の音を聞いてくれと書き残したんだけど。その後もワールドツアーみたいなことを考えた場合は、必ず日本は含まれるようになりましたね。」

野村「ね。いや、だからなんかもうまさに僕の生まれた年の話なんですけど、でもこうやってまたですね、現役バリバリどころかまた新作を携えて日本に戻ってくるというですね、このタイミングでお話を伺うわけですが。今日はですね、もういろんなテーマでボブ・ディランについて話すことができるわけですが、もうざっくりですね、四つに、「FOUR SEASONS」と題して、時代で区切りました。もちろん話があちこち行くとこもあるかもしれないですけど、一応時系列をですね、ベースにしていこうと思いますが、シーズン1としてタイトルをつけるとするならば、ヘッケルさん。どんなふうにつければいいですかね。」

菅野「ちょっと軽薄だけど、『ポップスター誕生』。」

野村「『ポップスター誕生』!」

菅野「とでも言いますかね。というのは、詳しい人はね、いや、フォークシンガーだろうとか。あるいはフォークロック始めたじゃないかと、いろんなことあると思うんだけど。当時の60年代、62年でレコードデビューで、66年までの4年間の間にボブはアルバムを、何枚出したかな。7枚、6枚?」

野村「かなり精力的ですよね。」

菅野「ほとんど。何ヶ月かで1枚出すと、いわゆる当時のポピュラー音楽というのはそういう意味でどんどん新しいものを出してチャートを賑わせる、これがまあそういう常識だったわけですね。だからそういう中で、特にそのイギリスでビートルズが出てきて世界中をあっと言わしたわけで、それに対抗できるアメリカが誰かというと、結局それがロックンロールを始めたボブ・ディランだったわけ。だからそういう意味で、『ポップスター誕生』というのは、60年代初期、62年から66年までの4年間。これは一つの区切りになるんじゃないかなと。」

野村「ですよね。非常に凝縮されています。一曲ですね、お送りして、もう少しその時期の話を伺っていこうと思うんですけれども。今手元にはですね、ヘッケルさんにも事前にですね、いくつかこの辺りなんか面白いんじゃないかということで選んでいただいているものがあるんですが、先ちょっと曲を聞いて、その曲についてもお伺いすることにしましょうかね。ではお送りします。ボブ・ディラン、『Watching the River Flow(川の流れを見つめて)』」
 

 

◆シーズン1『ポップスターの誕生』

野村「FM COCOLO「Whole Earth RADIO」「ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-」。僕、野村雅夫が、ボブ・ディラン研究家の菅野ヘッケルさんをお迎えしてお送りしています。今日はボブ・ディランのこれまでの人生を四つのシーズンに分けて話を進めていこうということになっていまして、ヘッケルさんにタイトルもつけていただいてるんですけれども。シーズン1は1962年から66年の非常に若いし凝縮して、そして多作でもあった時代、『ポップスターの誕生』というふうに名付けていただきました。CMの前にお送りしたのが『Watching the River Flow(川の流れを見つめて)』という曲だったんですけれども。この時代にその誰もが知るですね、『Blowin' In The Wind(風に吹かれて)』とか『Like a Rolling Stone』。もちろんこんなあたりも入ってくると思うんですけど。『Watching the River Flow(川の流れを見つめて)』は、ボブ・ディラン、今のボブ・ディランとてもかなり大事な曲なんですね。」
 

 
菅野「そうですね。結構その後もコンサートで何回か歌うんですね。特にコンサート会場の近くに川が流れてるとなぜかね、それにインスパイアされて歌う。そういうケースが今まで多かったですね。」

野村「あら。フェスティバルホールも川の真横ですからね。」

菅野「それもそうだし、前に来たときも、やっぱりあのZeppでやったときも、すぐそばに川があって。その頃はオープンに何やるか誰も知らなかったんだけど『Watching the River Flow(川の流れを見つめて)』をやったし。」

野村「オープニングで。」

菅野「うん。それとかね、ピアノのときかな。最初にピアノやって、スポケーンとか見に行ったときも、やっぱり側に後で考えてみれば川があった。だからなんかね、そういう周辺の川とかそういうものにインスパイアされる。そうやって曲を選ぶことも多いし、だから自然が好きなんですよね。だからそういう時間があると、川のそばを歩いたりとか、森の中を歩いたりとかしてるみたいなんで、そういう要素もあって、この曲はずっと歌い続けてるんじゃないかなと。」

野村「なるほど。」

菅野「多分、今度のコンサートもこの曲はやるんじゃないかと思います。」

野村「ということですね。第1シーズンに選んでいただいた1962年から66年、『ポップスターの誕生』ということですけれども、先ほどちらっとおっしゃったように、ちょっと軽薄かもしれないけどって前置きをされました。日本で、今ですね、ボブ・ディランといったときに、もちろん世代によって受け取り方はだいぶ違うと思うんですが、ポップスターというイメージがね、もしかするとポップスターなのかな?って思う人もいるかもしれないですけど。これ日本とアメリカでも受け取り方は当然違ったし、60年代ってまだアルバムごとに日本で発売されてなかったんじゃ・・・」

菅野「されてないですね。僕はソニーに入ってから、アルバム出すようになって。それまでは日本コロンビア時代というのがあるんですが、ヒット曲、『Like a Rolling Stone』が1曲だけヒットしたときにそれを入れて、他の時代のアルバム2枚を別々にA面B面に入れたりとかいうような。ジャケットデザインも全然違うね。」

野村「シャッフルしたような格好になって。」

菅野「そういう感じで出したりしてましたね。だから今みたいにいろんな情報がね。個人が自由に、今入ってくるじゃないですか。60年代、あるいは70年代ぐらいまでというのは、全くないそういう情報は個人ではない、入らなかった。だから、出し手側がどうにでもできる、そういう時代だったんですね。」

野村「そんな中で60年代においては、日本でももちろん、まさにヘッケルさんもそうだったわけですけれども、ボブ・ヴィランに憧れて、やっぱ感化されていったと。どんなふうに、今知られてるような例えば66年で区切ったことの一つにはバイク事故があってっていうこともあったんですけど、それまでずっとスター街道を駆け巡ってて。おっしゃったようにフォークシンガーの伝統を受け継ぎながら新しい新星として現れて。そうかと思えば、エレキギターを持ち始めてそのブーイングが、なんていう、そういう僕でも知ってるような、その伝説みたいなものってのがありますけども。当時はヘッケルさんはその時、今おっしゃったような環境の中で、情報の、どんなふうに日本では受領されたんでしょう。」

菅野「僕はね。まだ中学・高校の時代なんだけど、洋楽ファンでラジオで聞く程度。で、フォークミュージックが好きで、すごく綺麗なジョーン・バエズ、綺麗な女性だなと思ったり。あるいはハーモニーの綺麗なピーター・ポール&マリー。そういうのは聞いたりしてたんで。ある日ラジオで、風に吹かれてのオリジナルだよって言って、ボブ・ディランというのが聞こえてきたんです。その瞬間ですよ、僕がディランの虜になったのは。だから、それまでのラジオで聞いてたいろんな曲、あるいはアーティストと比べると、その時聞いたボブの声というのは、まさに何て言うのかな。人間そのもの。」

野村「うんうん。」

菅野「そんな、あんな声で歌う人が歌手でいるはずがないと思うようなもので。しかもその歌からその人間性にすごいその瞬間、瞬時に興味を僕は惹かれたんです。だからこの人は何だろうというんで、その後、すぐ追いかけ、いろんなものを聞くように。」

野村「だから世に、少なくとも日本で手に入る情報はもう全部捕まえてやろうっていう、そういう覚悟だったんですね。」

菅野「そうだし、ただ日本じゃレコードあんまり出てなかった。」

野村「さっきの事情ですね。」

菅野「だから、そういう意味で、あるいはネットで買うなんて、もちろんネットがない。そこへ直接買うということはもちろんできないわけだけど、でもなんだかんだでディランというのが気になってて。それが高じてやっぱりディランに関わる仕事をしようっていうんで、レコード会社というわけですね。」

野村「なるほど。これは今の日本での事情ですけれども、このバイク事故があってボブ・ディランは、当然ながらそれまで多作でどんどんどんどん出してたっていうところから、中断を余儀なくされていくわけじゃないですか。既にこの4年間の間、4、5年の間でも、イメージの刷新といいますか、フォーク、純粋にギター1本だけじゃないっていうところも既に取り組んでますよね。これ、あの全体を通して言えることだと思うんですけど、ボブ・ディランってイメージが出来ては、何かそこからするりと逃れていくようなことをずっとやってるような気も僕はしてるんです。」

菅野「それはね、正しいかもしれない。というのは、ボブがハイスクール時代ってのはロックンロールバンドやってたんですよ。ピアノを叩くように弾きながらシャウトする。まさにジェリー・リー・ルイスみたいな。あるいはバディ・ホリーに憧れてたとか、そういうロック少年だった。それが大学に入ったときに、ウディ・ガスリーの『Bound for Glory(わが心のふるさと)』という本を読んで、フォークミュージック、特にロックバンドだと何人か集まってやんなきゃいけないけど、フォークだとアコースティックギター1本でできると。それでそれを歌い始めた。ウディ・ガスリーに憧れてニューヨークに出てきて、当時のそのグリニッジ・ヴィレッジのフォークシーンで、活動を始めた。そういう人なんですよね。だから、その後すぐに、その65年にはフォークの聖地と言われるニューポート・フォーク・フェスティバルで、エレクトリックバンドをバックに、『Like a Rolling Stone』を歌うわけですよね。だからそういう意味で、どんどん自分で一つの何か形を作られるというのは最も嫌だし、ただ自分の中の湧き出るものっていうものがどんどん、どんどん変わっていくんだと思います。それを誰かのため、あるいは売るため、あるいはヒットさせるために自分を変えるってことは絶対にできない。そういうタイプの人だと思います。」

野村「逆に言うと、ヒットしたらまた同じようなものを求めるファンであるとか。」

菅野「レコード会社はね、思うんですよね。変えちゃいかん。でもアーティストや作り出す方は、誰かに言われて何かを作るってのはね、本物のアートではないと僕は思うんで、だからそういうものよりは自分で出したものを受け手側がどういうふうに受け取るかそれだけに興味があるんだと思いますね。」

野村「第1シーズンは『ポップスターの誕生』ということで。本当に日本でもそして世界中でよく知られているボブ・ディランの名曲ってのは、もうたくさんもうこの時期に既に出るということになりますが、人生を四つに分けて、シーズン2ですけれども。タイトルは…。これ何年から何年でも区切りましょうかね。次は。」

菅野「次は、一応74年からゴルペルツアーが終わる81年まで。ぐらいが一つ区切れるかなと。」

野村「なるほど。ここは何とタイトルをつけましょう。」

菅野「『ロックカルチャーを確立』というふうに考えたんですけど。要するに、シーズン1がポップスターだったのが、そうじゃなくてもっと広い、音楽だけの世界じゃない一つの生き方としての、ロックミュージックというものをボブが提唱したんだ。というふうに受けとめるじゃないかなと。」

野村「なるほど。ではここのターム、このシーズンでちょっと1曲選ぶとしたらっていうことなんですけど、そうですね。どうしましょうかね、どれに行こうかな。ちょっと一曲聞いてまたお話を伺おうと思うんですが。」

菅野「この時代で一番代表、あるいはボブの代表曲は『ブルーにこんがらがって(Tangled Up in Blue)』」

野村「出ました。」

菅野「『Tangled Up in Blue(ブルーにこんがらがって)』。これだと思うんですよね。」

野村「はい。じゃあ、これもライブテイクっていつ頃のものになるのかな。」

菅野「もう75年。『Rolling Thunder Revue』のときの。」

野村「なるほど。じゃあ、ライブテイクでオンエアしましょうかね。せっかくなんでね。聞いていただきたいと思います。ボブディラン、『Tangled Up in Blue(ブルーにこんがらがって)』。」
 

 

◆シーズン2『ロックカルチャーを確立』

野村「ボブ・ディラン『Tangled Up in Blue(ブルーにこんがらがって)』をお聞きいただきました。『ロックカルチャーを確立』ということで、菅野ヘッケルさんに名づけていただきました、ボブ・ディランの1974年から1981年のシーズンです。出来事でいうと74年にザ・バンドとの全米ツアーというのがあったわけですよね。これは彼にとってはどんな意味合いを持つことなんでしょうか。」

菅野「これがまさにね、前にちょっと触れたかもしれない、66年にモーターバイクで事故を起こして人前から姿を消すわけです。ボブが生きてるか死んでるか何やってるかっていう、そういう情報がね、新聞なんかに出るぐらいで誰も何もわからなかった。そのボブが8年経って73年の秋にザ・バンドと組んで『Planet Waves』って新しいアルバムを出す。74年1月から全米ツアーをやるという。急遽発表された。だから、それまでのその隠れた隠遁生活を打ち破ってボブが出てくるっていうんで全米中が大騒ぎになりましたね。」

野村「そして復活ということですけど。」

菅野「これもこのコンサート、僕が、ボブのコンサートで初めて見たのもこの日、このときなんだけど。結局アメリカだけしかやらなかって、しかもロックコンサートとしては初めてだと思うんだけど、アリーナでツアーを、2万人ぐらいの会場で回って歩くんで。ひどいときは、ひどいというか、昼夜やるケースもあるんですよ。」

野村「2回まわしみたいな。」

菅野「そうです。昼間やり夜もやり。」

野村「アイドルじゃないんだからだから。」

菅野「まさに、まだそのロックというものがポップミュージックで。しかも大きな会場で、ある程度チケットも高くなって巨大なビジネスになっていくと、そういうツアーだったわけですね。ボブはそういうツアーは嫌だと。やってみて。で、その次の年に始めた『Rolling Thunder Revue』は全く別のやり方、これをやり始めたんです。」

野村「全く別のやり方というのは、具体的に。」

菅野「宣伝しない。いつどこでやりますよっていうのは、チラシで、その会場付近でチラシを配って、来週ここでやりますよ。『Rolling Thunder Revue』というツアーで、ボブ・ディランが入ってますよ、みたいな形でしかやらない。」

野村「すごいですよね。」

菅野「だから、本当は僕はね、人生でこのツアー見たかった。だけど日本にいる限り、そんなもん明日やりますよと言われても、行けるわけがない。」

野村「予定が立てられない。」

菅野「だから、すごい残念なんだけど。ただ、ライブレコーディングは残ってるし。日本でも1回だけテレビ放映されたことがあるんで、そういう意味ではよかったなと思う。で、それはまさにロックミュージックというのがビジネスとしてじゃなくて、自分のアートをさらけ出すもの。そして、ボブが始めた。そういう意味でロックカルチャーを確立させた、この時期だなと思う。」

野村「その隠遁生活が続いて、そこからまたライブやろうと思って盟友たちのザ・バンドと一緒にってやったはいいんだけれども、ちょっとやっぱその会場のサイズとかビジネス感とか興行のあり方みたいなものにやっぱり疑問符がついて、そこで自分なりにもっといいやり方がないかって模索した結果っていうのが、ここで『ロックカルチャーの確立』に繋がっていくんですね。」

菅野「そうですね。」

野村「なるほど。」

菅野「だから今考えてもね、昼夜コンサートをやるなんて、想像できないでしょう。」

野村「そうですね。」

菅野「でも、逆に言うと、例えばビートルズ。日本に来たときもそうだけど。何回…。1日何回やったのかな。複数回やってますよね。」

野村「やってますね。」

菅野「だから、いわゆるポピュラー音楽のコンサートってのは、そういうもんだっていう時代だったわけですよね。そこまでは。」

野村「なんだか芸能っていう感じが。」

菅野「まさに。そうじゃないんだということで始めたのがこの75年の『Rolling Thunder Revue』。そっから大きく変わったと思いますね。」

野村「なるほどな。そこでやっぱ手応えを得たわけですね。よく、ちょっと一度この辺で聞いておきたいなと思ったんですけど。よく言われることですけど、ボブ・ディランのライブに行ったときに、結構アレンジがね、変わるということを感じる人は多いと思うんですよ。そういうアレンジの変化みたいなものってのは、ずっとそうなのか。それとも、時期によってやっぱり違うのかってどうなんでしょう。」

菅野「基本的にずっとそう。というのは、ボブはスタジオレコーディングでもほとんどライブなんです。」

野村「なるほど。そもそもライブを録ってるんだ、と。」

菅野「もちろん1人でのアコースティックではもちろんそうなんだけど、バンドでやる場合もスタジオに全員が入って、一斉にやる。だからボーカルトラックだけ別とか、アレンジをベーストラックを作っておいて、そこで歌ってください、みたいなことをやるわけじゃなくて。そのスタジオの中で集まったミュージシャンたちと一緒にどんなグルーヴを生み出せるか、その雰囲気で曲をレコーディングしてく。だから最近、特にボブの場合、ブートレッグ・シリーズという、新しい色んな昔のものを出すシリーズが始まってます。そうすると、同じ曲でもいくつかテイクが発表されるようになったわけです。そうすっと全く違うキーとか、全く違うアレンジいろんな試してるわけです。その時の気分で一番いいものをレコーディングする。で、それと同じで、ステージでもその時の会場、あるいはそのときのミュージシャン、その時の気分で、どんなアレンジで歌う、どんなふうに歌う、どんな歌詞で歌う。全部変えちゃう。それがボブだと思います。」

野村「面白いですね。それこそ、『ロックカルチャーを確立』っていうことで、確かに70年代にはロックバンドがすごい名盤とされるもの、たくさん生み出しましたよね。やっぱり作り込んで、どんどんマルチトラックも進化していって。もうレコードに全てを凝縮させるんだと。演奏するときにそれを再現するような格好のものも多いと思うんですよ。でもボブ・ディランは、今おっしゃったから僕は、はたと。ハッと思ったのは、そもそもレコードを作るときがもうライブの状態であると。これは面白いですね。」

菅野「だからスタジオの音を、レコードで知ってる歌を聞きたければ、そのレコードを聞けばいいわけですよ。ライブで聞く必要ない、と僕は思いますね。」

野村「それがだからやっぱりボブ・ディランがライブにどういう気持ちで臨んでるかっていうことを端的に表しているし、見続けたくなりますよね、結局ね。」

菅野「そう。だからこそディランファンの多くは何度も何度も見に行っちゃう。」

野村「ちなみにヘッケルさん今まで何回ぐらい・・・。」

菅野「この間数えたらね、300越してました。」

野村「わ~!(笑)」

菅野「だから74年から始まって、今回まで。」

野村「だから、結局そんなにご覧になるというのは、もちろん、そもそも仕事としても関わってたっていうこともあるけれど、関わり続けてるってことはあるけれども。やっぱりずっと同じものがないから見たいわけですよね。」

菅野「飽きることがないし、新しいことが出てくるから感動するわけですよ。心が躍る、それを味わいたい。だから何度も何度も観に行くということですね。」

野村「なるほど。」

菅野「本当ならもっともっと観たい。今だからアメリカと日本でしかほとんど見てないんだけど、他の国ではどうなんだろうと。いろんなことあると思うんで。」

野村「今の話を踏まえると、他の国行ったらまた全然違うことになるんじゃないかという感じですよね。あとこの時期、70年代、そのロックカルチャー確立期にFMCOCOLOのリスナーが、レコード買ったとかっていうことでいうと、もちろん『血の轍(Blood on the Tracks)』もそうなんですけど、『Desire(欲望)』もこの時期ですよね。『Desire(欲望)』はすごく日本で売れたんですよね。」

菅野「そう。一番、当時の中では一番売れた。」

野村「うちにもあったんですよ、父親が買ってて。家で聞いてた。なんで『Desire(欲望)』はここまで日本で受けたんですかね。」

菅野「一つはソニーレコードの宣伝が上手かった(笑)。」

野村「お!(笑)」

菅野「そうじゃなくて(笑)。やっぱりあのね、バイオリンをフィーチャーした、あのサウンド。それからなんとなくそのエキゾチックな、ちょっとマイナーっぽいものが多かった。それと一番最初にシングルで『Hurricane(ハリケーン)』。『Hurricane(ハリケーン)』が話題になった。」
 

 
野村「シングルに入ってない。」

菅野「これがあったということもあるんで、そういう意味で日本のマーケットにすごくあっていた。それから中の『One More Cup of Coffee(コーヒーもう一杯)』っていうのは、日本人が好きなメロディであったと。」
 

 
野村「そうですね。」

菅野「そういうのもあって。それから、もちろんそれまで積み重ねてきたいろんな要素が絡んで、一番売れた。買いやすいアルバムになった。その前に『血の轍(Blood on the Tracks)』がすごい最高傑作だってみんな知ってたけどそれはやっぱりファンは知ってたけど、一般の層まではいかなかった。だからそういう意味で『Desire(欲望)』。『欲望(Desire)』っていうのはね、みんなに愛されるアルバムだったなと思いますね。」

野村「ボブ・ディランのこれまでの人生を四つのシーズンに分けるなら。シーズン2『ロックカルチャーを確立』。1974年から81年で区切りました。では続いてシーズン3。ヘッケルさん。これは何年から何年にしましょうか?」

菅野「これはね、基本的には88年から『ネヴァー・エンディング・ツアー』というのを始めるんで。そっから今のツアーから別の名前をつけたんで、2019年まで。」

野村「長いスパンで。」

菅野「これはもう『ネヴァー・エンディング・ツアー』時代、新境地を模索し続ける。果てしない旅も見せてくディラン、ということだと思いますね。」

野村「なるほど。ではそのシーズン3、長いスパンになりましたけれども、そこから1曲お送りしようと思いますが、どうしましょうかね。」

菅野「これはね、僕がボブの600、700曲ぐらいある作品があるんだけど、その中でも最も好きな曲の一つ。『Blind Willie McTell』っていうのがあります。これのバージョンがいくつか出てるんで、ライブももちろんあるんだけど、その中でもミック・テイラーがエレクトリックで入ってくるエレクトリックバージョン。これが最近発売されたんで、それが一番いいと思うんですね。」

野村「そのバージョンで聞いていただきましょう。ボブ・ディラン『Blind Willie McTell』。」
 

 

◆シーズン3『ネヴァー・エンディング・ツアー』

野村「FM COCOLO「Whole Earth RADIO」。今日は菅野ヘッケルさんに僕がいろいろ教わるといった感じで、「ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-」と題してお送りしております。今、お聞きいただいたのが『Blind Willie McTell』ということでした。このシーズン3はですね、ヘッケルさんはかなりワイドに取られたんですけれども。新境地を模索。1984年から2019年。『ネヴァー・エンディング・ツアー』ということです。今のね、『Blind Willie McTell』の話も、もちろん伺うとして。ちょっとあの全体これちょっと長いんで見てみたいんですけど。80年代に入って音楽シーンだいぶ変わりますね。」

菅野「特にねMTVができて。」

野村「これが大きい。」

菅野「音楽っていうのが、その聞くだけじゃなくて見る要素を求める格好になりましたね。だからそこはすごい大きな転換。」

野村「これはもちろん音楽シーンそのものの転換でもあるんですけども、ボブ・ディランがどんなふうにこれを受け入れたんですかね。」

菅野「ディランはね、元々プロモーションビデオという、いわゆる曲に合わせた映像を出しますよね、それの先駆者。というのは65年に『Subterranean Homesick Blues』っていうのは、モノクロであの有名なね、プラカードを投げて…」
 

 
野村「どんどんめくっていく。」

菅野「あれはまさにプロモーションビデオ。」

野村「本当だ。」

菅野「ありました。先駆け。そういうアーティストなんで、驚きはしなかったと思うんだけど、ただ聞き手がね、要するにテレビでMTVを見て、本当短い映像とか、映像のインパクトだけで好き嫌い。そういうふうに判断しつつ、ある程度は気づいたと思いますね。だからボブもいくつかプロモーションビデオ作ってるわけだけど、なかなかうまくいかない。というのは自分でそのときの感情をライブでやるわけだから、そんな作られた映像にね?なんか合わせるみたいなことってのは非常につらい。それはできなかったんだと思う。一番極端なのは、日本で撮影したプロモビデオっていうのがあるわけ。『Tight Connection To My Heart』があるという。あれなんか今見るとすごく滑稽で笑っちゃうんだけど。そういう試みがあったり、いろんな試しはしてると思うんだけどね。」
 

 
野村「でもそういう、こう…。そうですね、映像周りを含めたところでのパッケージング等は、ちょっとね、それこそアンプラグド、90年代に入ってボブ・ディランも出しますけれども、それとちょっと訳が違うわけでね、ちょっと戸惑ったというところもあるかもしれないけど。でも確かにおっしゃるように先駆けでもあったってのは重要なポイントとして押さえておきたいところですよね。そして、この時期ってのは80年代、グレイトフル・デッドとツアーを87年に行うんですね。そして88年にこの新境地を模索。その『ネヴァー・エンディング・ツアー』の時期に入るっていうことが大きなきっかけであろうとヘッケルさんおっしゃいましたこの『ネヴァー・エンディング・ツアー』。88年のスタートでございます。すごいタイトルがついてますけど。そもそもこれまでずっとツアーのやってたわけですけど。」

菅野「ファンがつけた名前。別に正式にボブが『ネヴァー・エンディング・ツアー』っていう決めたわけでもないないんだけど。僕も88年スタートのときから見に行ってるんだけど、結局ずっと本当に終わりなく続けてるもんで、ファンは途中からこれは本当に『ネヴァー・エンディング・ツアー』だと呼び始めたんですね。で、そのステージは最初は本当に3人編成のパンクロックバンドみたいな格好で始め。あるいは全然もっとたくさんのバックバンド付けたりとか、その年その年で、構成も違うし曲も違うし、アレンジも違うし、恰好も違うし。いろんなことを試してる。それはなぜかというと、デッドというのはライブバンドとして定評がありましたよね。グレイトフル・デッド。彼らは本当にステージで自分たちのファンで「デッドヘッズ」のために、好き勝手と言うと語弊があって、自由にね、自分たちの音楽を3時間とかやって、みんながその時間、夢見心地の気分になれるわけですよ。そういうのが非常にいいなとボブも思っちゃう。自分もそういう格好のものをやってみようということで、多分始めたんだと思いますね。これはデッドとツアーをしたことが影響して。当時、だってデッドのメンバーにボブはなりたいと1回申し込んだ。」

野村「すごい話ですね。」

菅野「で、却下された(笑)。」

野村「断るグレイトフル・デッド(笑)。」

菅野「そんなことまでやったぐらいなんで。」

野村「はい、そうですね。そしてトラヴェリング・ウィルベリーズの結成ということもあったし、この辺りなんかは今も僕がFM COCOLOでやってるワイド番組でも、もう定期的にリクエストが来るようなことにもなりますし。そして90年代で言うと、『Time Out of Mind』は結構大きい作品です…、というか重要な作品ですよね。『Love Sick』なんかね、入ってますけれども。僕が当時大学生になってすぐで、初めてリアルタイムでボブ・ディランのアルバムも自分のお金で買ったっていう。もちろんヘッケルさんがライナー書かれてますけども。結構なんかずっと聞いてましたね。このアルバム。」
 

 
菅野「一番いいときに買ったってことですね。」

野村「そうですね。あとですね。もう一つお伺いしたいなと思ってた。これすごいスパンが長いので。あのボブ・ディランはもちろんシンガーソングライターとして、ずっと曲を作り続けてるわけですけれども、同時に、実は彼の好きな音楽っていうのを自分なりに、こう、表現して歌うっていう、そのカバーみたいなことも定期的に結構な作品やってますよね。」

菅野「そう。古くは70年で『セルフ・ポートレイト』っていう自画像と…、自分の自画像をつけたアルバムで、いくつかカバー曲をね、やってたりするんだけど。あるいは『Theme Time Radio Hour』という、ディラン自身がDJをやって、いろんなアメリカの曲を紹介する。これを1年半以上続けたかな。そういうのやってるし。あるいはフォーク…、トラッド・ミュージックとかブルースをだけを集めたアルバムを2枚出したりして。ようするにディランはね、基本的にすっごいアメリカン・ミュージックが好きなんです。別にそれは自分が作るだけじゃなくて。いろんな伝統、トラディショナルなものを昔からのフォークミュージック、そういったものをきちっと後世にやっぱり伝えなきゃ、伝えていきたいという、そういう思いもあるし。あるいは昔のそういうトラディショナルな曲の歌詞なんかを、もう1回再利用していくつか組み合わせて新しい曲をまた作っていくという。まさにブルースシンガーになりたいというのがボブだと思う。そういう意味で今回も、長い間自分の新作ができなかったんだけど、『Time Out of Mind』っていうのは、7年分作ったのかな。」

野村「当時ね。」

菅野「傑作が生まれてくる。そういういろんなことを試しながら、模索して自分の物っていうのを作り上げていく。そのためのコンサートを毎日やってくれた。」

野村「その感じそうですよね。結局、じっとしてんじゃなくて結果を歌い続け、古いものから新しいものまで実はいろんなものに接して、自分を更新し続けているわけですよね。

菅野「ボブの心情は、振り返るのは嫌だ。『ドント・ルック・バック(※1967年公開のドキュメンタリー映画)』。それから帰る家はない。『ノー・ディレクション・ホーム(※2005年公開のドキュメンタリー映画)』。常に新しい未知の世界を進み続ける。これが彼の生き方だと、僕は思いますね。」

野村「それがもちろん、そのオリジナルアルバムで表現されることもあれば、実はライブで表現されることもあるし。絵で表現することもあれば、ラジオDJとして。あれ、聞いてみると本当面白いんですよね。」

菅野「すごく奥深いコメントがね。ボブだけが考えてるわけでもないんだけど。他の人がもちろん携わってるけど、でもやっぱりすごく知ってる。」

野村「そうなんですよね。」

菅野「選曲がまたユニークというか、面白いというか。」

野村「本当に。」

菅野「知らなかったような曲がボブによって教えられる。そういうものがすごく学んだっていうね。」

野村「いやもう端くれとして、もう全く。もう同じ仕事してるって言えないぐらいなんだけど、すごくやっぱり感銘を受けました。彼のDJを聞いてね。」

菅野「喋りもうまいんですよ。」

野村「うまいんですよ。思った以上にどんどん情報が出てくるし、ユーモアも入れちゃうし。いやあれは『Theme Time Radio Hour』は本当面白かったですね。そんな事も実はずっとやってるんで。あのアルバム7年空いたとかそういうこと言ったら休んでるみたいだけど、全くそんなことはなくて。しかも言葉の人でもあるので。文学賞とってますからね。ラップミュージックとかね。そもそもボブ・ディランのやってきたこと。もうラップが生まれる前から。」

菅野「確かに。『Subterranean Homesick Blues』はラップ…」

野村「始祖だって言われますもんね。」

菅野「最初だとかもいうしね。」

野村「だからラップミュージック、実は造詣が深いとか結構興味持ってたり。」

菅野「新しいミュージシャン、結構聞いてるし。」

野村「なんかエミネムとかも聞いてるっていう話もね、聞いてるし。エドシーランも多分きっと面白いと思ってるんだろうしっていう。そういうことで。ただノーベル文学賞ってのは、やっぱりこれヘッケルさんも驚きましたよね?」

菅野「驚きっていうかね、97年から毎年候補に入ったよという噂は出てた。だからそのうちもしかしたら取るかもとか思ったりしてたら、まさか本当に取るとは。しかもね、僕が聞いたのはね。受賞した日、僕は成田だったんですよ。なぜかというと、『デザート・トリップ』というコンサートをボブがやる日だったんですね。ちょうど出発しようとしたら、人から電話がかかって、ノーベル文学賞ボブが取った。だからすごくすごく変な気がしたけどね。で、あくる日、ステージに立ってもボブはそのノーベル文学賞を取ったとか、そういう話は一切もちろんしない。取っても取らなくても、もちろんその受賞式も出なかったけどね。」

野村「そうですね。」

菅野「後でスピーチを渡すとかね。本当に変わってると思う。」

野村「変わってますね。」

菅野「ただね、すごく喜んでると思う。ノーベル文学賞の話じゃないけど、例えばグラミー賞とかね、そういうものも受賞するとすごく喜んでるっていう話がいくつも出るんで。本当はすごく欲しがるっていうのかな。与えられること、あるいは評価されたことに喜びをすごく素直に持ってるんだけど、それを人前に出て、ワーワー良かったねとかね。そんなことはしない、そういうタイプの人だと思う。」

野村「なるほど。やっぱり、それこそ今回は四つのシリーズに分けてますけど、『ポップスターの誕生』というところからスタートしたわけじゃないですか。でも、いわゆる大衆音楽ですよね。それまでのクラシックなんかとは違う民衆の音楽として、ボブ・ディランは先人から受け継いだものを自分なりに消化してやってて、それが文学賞をってのはやっぱり、それは、音楽史的に考えても相当な出来事ですからね。」

菅野「ポピュラー音楽で、きちっと意味のあることを歌で伝える、そういうことをやる人はあんまり少なかったわけですよね。だからそれは始めたのがボブであって。しかもその作品が、歌と組み合わさって一番意味が出るんだけど、文字だけで見ても、もちろん意味がある。そういう意味で文学賞に値すると、いうことになったんだと思うけどね。いずれにしろ、各国いろんな賞をボブはもらってるんで。フランスの文化勲章に当たる、なんとかっていうのも貰ったし。ピューリッツァー賞も貰ってるしね。」

野村「ピューリッツァー賞、取ってますもんね。」

菅野「グラミーはもちろんだけど、アカデミー賞も貰ってるし。だから賞コレクターだと思うんですけどね。その都度喜んでると思いますよ。」

野村「ではですね、最後のシーズン。シーズン4になりますけども。さっき、だいぶね、今に近づいてきましたから。シーズン4…。」

菅野「でちょっと、その前にもう1個、言い残したいのは、ボブがフランク・シナトラに代表されるね。スタンダード曲、『American Songbook』っていうものを、歌うアルバムを3枚、正確には3枚組があるから5枚になるんだけど、出してるわけです。要するに本当にアメリカで歌い継がれてきたスタンダードナンバーというものをきちっとした形で歌いたい。それから後世にも残していきたいという思いがすごく強い。だから特に、ボブ・ディランと聞いて知らない人は、例えばボブ・ディランは歌が下手だ、あんな声で、歌手じゃねえ、とかね。いろんなことを言った人が昔いたんだけど、フランク・シナトラの『American Songbook』を聞いてみると、ボブの歌から、歌い方、歌手としての上手さってのがすごく伝わる。歌っていうのは、やっぱりその言葉じゃなくて、感情がいかにして伝わるかだと思うのね。そういう意味でディランってやっぱりすごいなと、改めて思って。そういう歌い方の、歌手としての上手さを加味加えたものが、現在のボブになってるわけ。そのボブが新しいアルバムでくる。」

野村「はい、そうですよね。では最後にですね、シーズン4いきたいと思いますけれども。シーズン4はどんなふうにタイトルをつければいいでしょうか、ヘッケルさん。」

菅野「ちょっと大げさに、『ディラン芸術の完成。未来永遠に』」

野村「2020年から今に至ると、いうことになりますね。ではこのパートもまずは1曲聞いていこうと思いますが、やっぱりもうこれは、アルバムからということになりますけどね。どうしましょうか?」

菅野「いい曲いっぱいあるんだけど…。なんかあんまり長い曲もね。」

野村「まあ、確かに。」

菅野「これ基本的には2枚組なんですよ。『ラフ&ロウディ・ウェイズ』っていうのは。2枚目っていうのはシングルで先に先行配信された『Murder Most Foul(最も卑劣な殺人)』。これが17分。」
 

 
野村「17分ですからね。」

菅野「これちょっとラジオに向かないね。」

野村「はい、確かにね。」

菅野「だから他の曲ということになるんだけど…。」

野村「はい。」

菅野「とりあえず、『I contain multitudes』。いろんな面が僕の中にあるぜという歌か、もしくは『My Own Version of You』。これすごく、何て言うの、死体置き場に行って人間のパーツをいろいろ集めて、僕なりの1人の人間を作り上げるという。かなりね、江戸川乱歩ではないけども、すごい奇怪な、面白い、すごく、面白い歌だなと思って、それでもいいかなと思うし。まあ、何でもいいです。」
 

 
野村「うわー、どうしよう。でも僕も好きなので、『I contain multitudes』の方でも・・・」

菅野「『Key West (Philosopher Pirate)』もすごく、最近のファンの中では一番人気がある一つの曲です。でもこれも結構長い。」
 

 
野村「(笑)。じゃあ、ここはこの曲にしようかな。ボブ・ディランの『I contain multitudes』」
 
 

 

◆シーズン4『ディラン芸術の完成。未来永遠に』

野村「ボブ・ディラン『I contain multitudes』。お聞きいただきました。ざっとですけれども、もちろんね。1時間の番組なんで、駆け足でボブ・ディランの今までの人生のいくつかパートに分けてきたんですけれども。そうですね、完成ということになるわけですよ。これまでボブ・ディランが作り上げてきた芸術の完成と。この間に、例えば80年代だったらMTVのことっていうのも、大きな変化だって言いましたけれども、配信っていうのもね。増えてきたということもあって、ディランはどう捉えてるんでしょうね。」

菅野「特にパンデミックになって、ボブが1番やりたいライブステージができなくなりましたよね。」

野村「そこですよね。」

菅野「それの影響もあって、2021年に配信で『Shadow Kingdom』という1時間ほどの映像、モノクロだったけど、それを作ったんです。それのサブタイトルが、『The Early Songs of Bob Dylan』。だから初期の60年代を中心とした曲だけを新たに全部録音し直し、ミュージシャンも変えて、映像も使えて、配信ライブというふうに流しましたよね。これは噂によると、3回分あるという。アーリー・ソング、それからミドル・ソング、それからリーセント。そこまでやるんじゃないかという噂もあるんで。今後もまたそういうものがね、配信時代に出てくる可能性もあるよなと、思うけど。でも実際にはやっぱり生で、みんな聞いてもらいたい。特に配信ライブって、配信だとね、すごい短い時間で聞き手を引き付けないと駄目みたいなイメージがあるじゃないですか。」
 

 
野村「はい。」

菅野「僕なんかちょっと世代が古過ぎるんだよ。ほとんど聞かないんだけど。やっぱ、もう短い良いところで、そこだけ集めて、気を引くっていうのは難しすぎる。」

野村「うん。」

菅野「そういう意味で、じっくりとホールで歌う。こういう風に今後もやっていくでしょう。だから配信に関してあんまりやんないんじゃないかな。」

野村「でもディランにとって、いかにライブが大切かっていうことは今日のお話でもよくわかったので、それが確かに、もうどうしようもないですよね。できないという状況になってしまったときに、でもやっぱそれでも届ける手段はないか。誰かに自分の音楽を届ける、自分のライブを届けるっていうので、その配信ってのを使うのは使ったっていうのも、これも彼の人生の中では初めてのことになるわけで、そういう意味では、あの記録としてね、大事なものかなと思いますが。ようやく、でも日本でのライブもできなかったわけだけれども、今回やってくることになりますね。4月の6、7、8日。木金土、と大阪フェスティバルホール。大阪が最初、4月6日ということになりますが、東名阪で全11公演ということになります。今回は『ボブ・ディラン “ROUGH AND ROWDY WAYS”TOUR』ということになってます。ヘッケルさんが今回の来日公演で期待されていることってのはどんなことでしょうか。」

菅野「これ19年から始まって2024年まで。ワールドワイドツアーっていう格好でやるとしてるんですよね。それを引っさげての日本初めて。だから今まで来たディランとはまた違う。本当に、今まで以上にボブが今やりたいものだけをやる。極端に言えば、ファンに媚びることは一切ゼロだから。だから写真なんか絶対まず取らせないし、今回のコンサートで携帯は持ち込み禁止までいってるわけで。ボブは要するに、自分が歌ってるときに客席からこっそり携帯で写真撮るファンが、やっぱり今でもちょっといるわけですよ。そういうのですごく邪魔されて、歌の途中でやめて怒ったこともある。そのぐらい嫌なんですよ。だから本当に自分の歌だけを、聞かせたい。しかも今度、照明はね。上からのスポット一つもない。上からの照明一つもない。全部照明が床に埋め込み。床自体が白く光ってる。そこにバンドたちが全部いるっていう、そういう構成にステージがたぶんなると思います。で、ボブ自身はステージを右手に、縦型のスタンドピアノ。」

野村「ええ。」

菅野「で、ほとんど歌う。もしかしたらギターを1曲、やるかもしれない。毎年ツアーの一番最初のコンサートで、その年、例えば、今回だと大阪のステージで今年のツアーがどんなふうになるかってのが決まるんです。だからそれを目撃するのも僕たち。」

野村「そうですね。」

菅野「嬉しい。そういう意味では、いろんなね。どんな変化があるか。あるいはどんな新しい言葉を伝えるか。それからもちろんセットリストもそうだし。タイトルが『ROUGH AND ROWDY WAYS』だから、その曲が中心になるけれども、それだけじゃ構成できないんでね。」

野村「そうですね。」

菅野「そうすると、昔の歌も当然何曲かやる。で、それをどんなアレンジでやるのか。それから来日メンバーが今までちょっと変わるから、また新しい要素が入ってくる。いろんなことがあるんで、これは見逃せない。」

野村「なるほど。これ、結構長いですよね。全11公演ですけど、もちろんずっと毎日やるわけじゃないから、都市も移動するしっていうことですけど。ボブ・ディラン、もう日本で結構長く居るときって必ずすることってあるんですかね。」

菅野「コンサート以外に?」

野村「はい。」

菅野「誰も知らない。」

野村「(笑)」

菅野「謎。」

野村「そこも謎なんですね(笑)」

菅野「あのね。本当にツアーのメンバー、あるいは関係者でさえ、ボブと直接会って話したとか、一緒に食事したとか、そういう人は僕は聞いたことがない。だから謎。」

野村「すごいな~。そこも含めて面白いな。」

菅野「だから、ディランの生を見れるのはステージだけ。」

野村「ってことなんですね。結局ね。」

菅野「だから、ネットなんかのファンサイトで、ボブがコンサート会場に入る直前の写真を撮ったぜっていうのが、もう全世界に流れて、それが話題になるぐらい。」

野村「すごいことだな。俺を見るならステージで見ろってことですね。」

菅野「そうそう。それで、コンサート終わって帰るときも、誰よりも先にボブは帰っちゃうからね。まだ場内が暗い間にもいなくなるっていうのが、ほとんどです。」

野村「うわ、はや。驚きですね。さっきは『I contain multitudes』っていう曲を聞いていただいたし、『My Own Version of You』もね。ちょっと江戸川乱歩じゃないけどっていう話をされました。いや、やっぱりボブ・ディランって結局一つのイメージの中に収まらないし、実際にいろんな要素があって、その肩書きなんて馬鹿らしい話ですけど、いくらでもつけられるんじゃないですか。それはジャンルもそうだし。という考えると、やっぱり、なんか…。僕ずっと、ヘッケルさんが未だにね、『Blowin' In The Wind(風に吹かれて)』をラジオで聞いて、なんだこりゃってなってから、ずっと追いかけてらっしゃることってのは、なんか今日1時間で、その一端に過ぎないんだけど、ちょっとそこはわかったような気がするというか。でもなんか、まだまだやっぱり知りたくなるんですよね。表現が多いから。たくさんあって。今回のアルバムをもちろん買って聞くっていうのもそうなんですけど、ドキュメンタリーも含めて、映像もたくさんありますよね。しかも自伝も訳されて。自伝も、あれでも何か、続きが。」

菅野「本来は三巻、Vol.3まで出る契約だったんで。でもVol.1を出した後、やめちゃったんで。」

野村「そうなんですね。」

菅野「だから、あれだと断片的にしかわからない。だから非常に、誰もね。そういう意味ではコントロールできない。ボブにこれやりなさいと言える人がほとんどいない。」

野村「なるほどね。でもそれだけ、ちょっと神話めいたところもあるから、いろいろ知りたくなるし。」

菅野「でも一番ボブがしたいのは、人前で歌うこと。」

野村「なるほど。」

菅野「昔のインタビューで、例え客が100人になっても、あるいは1人になっても、僕は歌うことができる限りずっと歌い続けると。ギターケース1本持ってどこでも行くと。そういうことを語ったりしてるんですよ。だから本当にね、昔のブルースマンってのはそういう人が多かったと僕なんかは想像するんだけど。さっき紹介してもらった『Blind Willie McTell』もね。ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルースを歌える人はいないと、ボブは歌ってるんだけど、僕に言わせれば、いやいや、あなた、ボブが、あなたが歌えるじゃないですか、と。そこだと思うんだよね。」

野村「あなたはもうそうなってる。」

菅野「だから、彼が、僕なんかに言わせると、ボブが生きてる限り、どんどん常に何か新しいものが出てくる。それが何かを僕は追いかけ続ける。だから300回観ようが400回観ようが、飽きることはない、と思いますね。その体験を今度、日本ツアーで見れるわけです。」

野村「あと18日です。はい、4月6、7、8と。ぜひお出かけいただきたいと思います。FM COCOLO「Whole Earth RADIO」、「ボブ・ディラン 来日直前 特集 -FOUR SEASONS-」と題してお送りしました。いや、とても貴重なお話をお聞かせいただきました。僕、野村雅夫がお話を伺ったのは、ボブ・ディラン研究家の菅野ヘッケルさんでした。どうもありがとうございました。」

菅野「ありがとうございました。」

  

Bob Dylan “ROUGH AND ROWDY WAYS”
WORLD WIDE TOUR 2021-2024

■来日バンドメンバー(予定)
ボブ・ブリット(ギター)、トニー・ガーニエ(ベース)、ドニー・ヘロン(ヴァイオリン、ペダルスティール 他)、ダグ・ランシオ(ギター)
 

大阪公演

|日時|2023/04/06(木) 19:00
    2023/04/07(金) 19:00
    2023/04/08(土) 17:00
|会場|フェスティバルホール

▶▶ 公演詳細
▶▶ オフィシャルサイト

 

番組情報

Whole Earth Station 
FM COCOLO [Whole Earth RADIO] 
《毎週土曜20:00》

「Whole Earth Station FM COCOLO」ならではのコンセプトとメッセージを込めて、さまざまなトピックを取り上げていく土曜の20時からの1時間プログラム『Whole Earth RADIO』。

FM COCOLOのDJがリレー形式で登場し、その時々の特集をお送りします。番組前半のノンストップ・ミュージックゾーン「GOOD OLD DAYS」では、音楽で“Whole Earth”を感じてください。

後半は、特集コーナー。歴史上の存在や出来事から、いま地元で/世界で進行中のさまざまな取り組みまで、さまざまなトピックを“Whole Earth”の視点から紹介していきます。

地球の風を感じて、考える…そんな土曜夜のひとときを過ごしませんか。

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