2022/12/29
取材レポ
時代は戦時色濃厚な昭和十五年。場所は警視庁の取調室。登場人物は警視庁検閲係・向坂睦男(内野聖陽)と劇団“笑の大学”座付作家・椿一(瀬戸康史)。非常時に喜劇など断じて許さないとする向坂は、上演中止に追い込もうと執拗なまでの注文を繰り返す。しかし、なんとか上演許可をもらいたい椿は、向坂が要求する無理難題を逆手に取りながら、あくまで真正面からの書き直しに挑戦していく…。
「上演許可をください!」「だめだ、上演中止!!」。喜劇の台本を前に相対する二人の男の攻防。息を飲むほど濃密でスリリングなドラマから目が離せない。情け容赦ない向坂の意地の悪い要求。必死で踏ん張りながら何度も何度も書き直す椿。皮肉にも台本はどんどんおもしろくなっていき、さらに敵対する男たちの関係も徐々に変化していく。緊張と笑いが交差し、感動のラストヘと向かう密室劇。これぞ、まさに二人芝居の傑作だ。
今回、内野聖陽・瀬戸康史という新たなキャストを得、初めて三谷自身の演出によってよみがえる『笑の大学』。稽古を控えた三谷幸喜が、その思いを語った。
自分の時間と心の余裕があれば、再演をするより、新作を書きたい方なんです。自分もあと何本新作が書けるかわからないですから。それなのになぜ再演が続いたかというと、実質2年半、大河ドラマに関わっていて、大河ドラマを書いている間は芝居の新作を書くことはとてもできないと思ったからです。僕はそんなに器用な人間ではないので、もしやっていたら皆さんにとんでも無いご迷惑をおかけしてしまいそうで。でも、やはり舞台には関わっていたいので、リバイバル作品を上演することになりました。
この作品は、自分にとって大事な作品です。登場人物の劇作家は、いわば僕の理想。憧れというか、こんな生き方をしたい、こんな仕事の仕方をしたいと思う存在なんですね。劇作家と検閲官のやりとりも、僕がドラマの脚本の仕事を始めた当時、僕とプロデューサーの間にあった戦いというか、実際のやりとりが反映されています。そんな自分に近い題材の物語だからこそ、とても愛着もあるし、いつかまた上演したいと思っていたんです。でも一方で、大事な作品だけに本当にこの作品を託したいと思う俳優が2人揃わない限り上演は難しいという考えもあって、今まで25年も空いてしまいました。ようやくこのタイミングで、今回のお2人に出会えたというのが一番大きいですね。
内野さんで印象に残っているのは、大河ドラマの『真田丸』の徳川家康でした。脚本家は現場にはほとんど行かないので、ほぼ一言も内野さんと話をしていなかったにも関わらず、見事に僕のイメージ通りの家康を1年間に渡ってやり遂げてくださった。どれだけすごい人なんだろう、僕の思いと内野さんの思いはきっと似てるんだろうなと感じました。それ以来、内野さんは僕にとってとても大事な俳優さんの1人です。
『おのれナポレオン』(13年)の舞台で、内野さんはハドソン・ローというイギリスの軍人を演じてくださいました。ナポレオンの収容施設の一番偉い人で、ナポレオンが大好きで尊敬しているけれど、その裏返しでものすごく彼をいじめる。その時の内野さんの冷徹さ、怖さ、冷たさ。なんてうまい俳優さんなんだろうと。中に持つ温かさと表面的なクールさを両面兼ね備えた俳優さんだと思っていて、それはそのまま僕が考えていた向坂に通じるんですよね。それで、内野さんが演じる向坂をすごく観てみたいと思いました。
瀬戸さんは、芝居も上手いし、笑いのセンスもあって、出て来た瞬間に舞台の空気を変えられる人なんです。なんだか楽しくなってしまうような、生まれつきそういう資質をもっていらっしゃる俳優さんだと思います。
僕が演出したニール・サイモンの『23階の笑い』(20)では若い放送作家の役を演じてもらったのですが、それが昔テレビの世界で必死にコントを書いていた頃の僕にとても近いものがあったんです。それで、自分の分身のような椿にはまず先に瀬戸さんが浮かびました。あと、椿一のモデルは実在の方で、菊谷栄(きくやさかえ)さんというエノケンさんの座付作家。元は美術部としてその世界に入り、それから喜劇作家になられた方です。瀬戸さんも絵を描くのが得意だし、喜劇俳優の役ではないけど、舞台上で臆せず笑いを取ろうとする彼の後ろには確実に当時の浅草の空気が漂っている気がしました。だから瀬戸さんにどうしてもやってほしい役だと。ベストキャストだと思います。
初演の時に伊丹十三さんがご覧になっていて、終わったあと感想を伺った時に「この作品はもうすでに古典になってるね」っておっしゃってくださったんです。それはすごく印象に残っていて、うれしかったのを覚えています。だからもう、その言葉を信じて、変にいじらない方がいいなと。ただ、俳優さんが変わるので、その俳優さんに合わせて稽古しながら微調整していくというのは当然あるとは思います。
初演・再演は山田和也さんが演出されていて、彼は演出家のプロ。だけど僕は、実は演出家だと自分で言えるのかどうかよくわからないし、演出家の才能があるとも自分では思っていない。僕が出来ることは、ただただ俳優さんをいかにおもしろく、素敵に見せるかだという気がするんですね。『笑の大学』は最初、西村雅彦・近藤芳正という2人のために書いた本。それを別の俳優さんでやるにあたって「前の役者の方が良かったな」とは絶対に言われたくないし、言わせたくない。だから、僕が出来ることは、この作品を内野さんと瀬戸さんの新しい代表作にするということだけだと思っています。
世の中にある多くの制約との戦いの中で、いかにして自分のやりたいものを作っていくか。それは妥協の連続かもしれないけれど、良い妥協というか。拒絶するのではなく、受け入れた上でそこを乗り越え、さらに自分のやりたいものを作っていく。それが、広い意味でクリエイターのあるべき姿ではないか。そんな大きなテーマを今台本を読み直していてすごく感じます。お笑い作家の世界に置き換えていますが、モノを創る人だけでなく、社会で生きていく上での前向きな妥協の方法というようなとても普遍的なテーマがある作品なのではないかなと。自分で書いていながら不思議なんですが、初演・再演と上演を重ね、映画や海外で上演されたりするのをみているうちに、僕自身が作品のテーマを発見したんです。そういう広い意味でのテーマをもつ作品だからこそ、いまだに皆さんに愛されているし、世界中の人に楽しんでもらえているんだろうなという気がしています。
「笑いのない作品を書け」と言われたら、何を書いていいかまったくわかりません。だから、すべてだとは言わないけれど、笑いというものをお客さまに届けるために自分は仕事をしているというイメージです。その思いは25年前とまったく変っていません。
僕がテレビドラマの仕事を始めた時に、予算やスケジュールなどのしがらみがある中で、プロデューサーにすごくいろんな条件を出されて、そんな制約の中で本を書かないといけなかった。でも、それに負けてしまうのは悔しいので、無理難題を出してくるプロデューサーに対して、それを受け入れた上で、さらにおもしろいものを作るというのが自分のやり方だなと思いました。それを「笑の大学」の中でそのまま椿の戦いにスライドしたんです。
その思いは変わっていませんが、当時僕は30代でプロデューサーは50代60代。この25年で僕は60歳を過ぎ、プロデューサーは僕よりはるかに若い人が多くなりました。やはり年長の僕に気をつかっているのか、あまり僕にダメ出しをしてくれなくなったような気がします。そこが当時との違いです。椿にとっての「検閲官」のような存在がいないのは、人によってはやりやすい環境なのかもしれませんが、僕や椿さんみたいに、制約があるからこそ好きなことが出来ていた人間にとって、何でも自由にできるようになってきた今のような状況は、逆にとてもやりにくい時代になったような気がしています。この頃は、自分の中に自分で「検閲官」を作って、無理難題を自分に課したりしています。
二人芝居とは、演劇の一番基本的なものだと思うんです。人間ふたりいれば、そこに必ず葛藤が生まれる。そういう意味で、演劇の原点のような二人芝居であるし、僕自身の原点でもある『笑いの大学』という作品は、きっと25年たった今でも、みなさんの心にフィットしてくれると僕は思っています。是非みなさん、楽しみに待っていてください。
取材・文=高橋晴代
PARCO劇場開場50周年記念シリーズ『笑の大学』
■作・演出
三谷幸喜
■出演
内野聖陽 瀬戸康史
|日時|2023/03/23(木)~2023/03/26(日)≪全5回≫
|会場|サンケイホールブリーゼ
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