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最果タヒインタビュー〈最果タヒ展「われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。」〉

2020/8/4

インタビュー

「その人だけに届くのも詩の言葉」
詩人・最果タヒが福岡で個展を開催

現代詩人・最果タヒが8月8日(土)より三菱地所アルティアム(福岡)にて個展を開催する。2004年よりインターネット上で詩作をはじめた最果。翌年より「現代詩手帖」の新人作品欄に投稿をはじめ、2006年に「現代詩手帖賞」を受賞、2007年には「中原中也賞」を受賞した。2012年に詩集『空が分裂する』を敢行し、以降は映画、WEB、広告、音楽、アートとリンクし、数々の新たなムーブメントを起こしている。最果いわく「言葉が、わたしを飛び越える」。この感覚を体感できる、またとない機会が訪れる。

―2019年は横浜美術館で個展〈最果タヒ詩の展示「氷になる直前の、氷点下の水は、 蝶になる直前の、さなぎの中は、詩になる直前の、横浜美術館は。」〉を行われました。まず、その時のご感想をお聞かせください。

 
最初に横浜美術館さんから展示のお話をいただいた時に、本で読めるものをわざわざ展示する意味って何だろうとすごく疑問に思って。単純に書いたものを展示するだけだと、本で読んだ方が良くて。展示するなら観に行くという能動的な動きが読む人に必要で。観に行った先に何があるのか、その日、そこに立つことで完成する作品じゃないといけないなと思って、モビールを使った作品を作りました。モビールにすると、来られた方が自分で言葉を選んで、強弱をつけて、その人だけのものにして読むんですね。本を読むことって一方的に情報を受け取るだけではなくて、実は能動的であるということが横浜での展示によってより分かる感じがしました。

 

――今回の三菱地所アルティアムでは、どういった展示になるのでしょうか?

 
「言葉をわざわざ展示すること」と、「観に来た人がその場にいないと成立しないもの」、言葉を展示する限りはこの2つはどうしても考えなきゃいけないので、それを前提に考えています。そして、横浜のころとはまた、「その場にいること」の意味も大きく変わっているように感じます。言葉というものの強さについても。
コロナウイルスの感染拡大によって、京都文化博物館の展示は中止となり、展示開催そのものについて、そして展示作品についても、大きく考えを変える必要が出ました。それは感染リスクを抑えるために始めたことでもありましたが、「その場に立つ」ということが、今どのような意味をもたらすだろう、と考え直すことにもなりました。
人との関わり合いも直接話すことより、リモートで済ませることが多くなり、それは不便でもありますが、しかし良い面もいくらか見つかりました。これまでの当たり前にあったことが「当たり前」ではなくなったことで、自分がストレスに感じていたこと、また、新たに向き合わなければならない問題に気づくこととなった。それは、案外「みんな同じ」ではなくて、現状に困惑しているのはほとんどの人がそうだけれど、どう困惑しているのかは話してみると全然違っていたりするんですよね。
けれどSNSやテレビで話される言葉は、「共感」を前提とした言葉、「みんなの気持ち」で。自分の問題は共有されないことに、苦しさを感じながらも、それでも、自分だけの気持ちを言葉にすることに勇気がより一層必要になっている気がします。

詩は、「どう受け取ればいいか」をはっきりと教えてくれる言葉ではないです。曖昧で、読むときによっても姿を変えていきます。でも、だからこそその言葉の前に立つとき、「自分はその言葉をどう思うか」だけがその人の胸の中に立ち上がってくるんです。他の人がどう思うかなんて関係なく、その人の世界には、その瞬間、それだけが存在する。誰とも、その感覚は共有できないかもしれない、みんな同じ読解なんてできないだろうし。でもそれは、その言葉の前に、そのとき、その人が立ったことの、何よりの証拠としてあり続けると思います。「自分はそう思った」ということ、誰かがなかったことになんてできないんです。
人が完全にわかり合うことなんてできないと私はずっと思っています。人はみんな違う人生を生きて、違うものを見ているから。でも、だからこそ、その人はその人としてそこにいる。そのことを詩は照らすように思っています。

場というもの、言葉というもの、自分というものが、大きく揺さぶられている今、詩の展示を考える上で、改めて詩という言葉について考え直しました。詩がその場にある、そのとき、その人の中にその人だけの詩が見える場にあらためてしたいと、そうして思ったんです。



「最果タヒ 詩の展示」展示風景(横浜美術館、2019年)
撮影:山城功也


―個展のタイトル「最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。」とは?


これは元々、「わかる」と思ってもらえること、共感してもらえることで、誰かと仲間になれたり、「同じ」になれた気がする関係ではなく、もっと距離を保つこと、それによって現れる関係性について書きたいと思って書いた言葉です。「わかる」と思ってもらうために、自分を「わかりやすく」調整するのではなく、互いがわかり合うことはできないけれど、でも、わかろうとしていたい、相手と自分の違いがわかっているからこそ思いやるようなそんな関係性。それは、決してさみしいものではないと思うんです。距離があるからこそ、一つの大きな星座が描かれるような関係性なんじゃないかと思って。
まさに詩とかは、人によって感想が全然違って、解釈が違う。思い出すことも違って。それは、すり合わせなくてよくて。そういう人たちがたくさんいるからこそ、大きな詩の作品が星座みたいに出来上がるんじゃないかなとも思って、そういうことも込めて、今回タイトルにしました。

 

―詩とかアートなど、私はつい「分からなくちゃいけないのでは」と思いがちなのですが、どういうふうに楽しんだらよいでしょう。


私が詩を書き始めたのは、人と分かり合う、分かってもらおうとするというコミュニケーションに面倒くささやしんどさを感じたからです。その頃、人の顔色を見ずに言葉を書くことの楽しさに気づいたのがインターネットでした。それで書いていたら詩として言葉が出来上がってきたという感じです。そういうことが根本的にあるので、「分からなきゃいけない」という「理解」の部分じゃない、その人だけの「あるところ」に届くのもまた詩の言葉だと思うんです。「なんか好きだな」って思ったらもっと読んでみる。「分かんないけど、なんかこれ好きじゃないな」って思ったら観ない。それぐらいの距離感でいいと思うんです。アートでも、映画でも、そういう距離感で楽しむと、すごく楽になる部分があるんじゃないかなと思います。




TEXT:岩本和子

最果タヒ展「われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。」

8月8日(土)~9月27日(日)10:00~20:00 会期中休館日なし
福岡・三菱地所アルティアム

※会場内の混雑・ 密集を避けるため人数制限をおこなうことがございます。
※状況により変更・中止する場合がございます。
最新の開催情報は http://artium.jp/exhibition/ 2020/20-04-saihate/ でご確認ください。

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